決意

私は生涯現役をモットーに仕事をしている。いまだ将来への夢もある。だが10代のとき考えていた‟将来”と、今思い描く‟将来”では、目指す先の距離感が違う。なぜなら私の‟将来”には、終わりがボンヤリ見えてきた。だから夢は夢でも、どことなく切羽詰まって現実的だ。

特撮の神様といわれた円谷つぶらや英二さんが、あの有名な『ウルトラマン』を生み出したのは65歳のときだった。作家の佐藤愛子さんは1年前に断筆宣言はしたものの、今年、白寿を迎える。90代の現役看護師さんやスポーツジムのインストラクターと、大先輩のシルバー世代は老いてなお意気軒昂けんこうである。私もそんな生き方をしたいと常々思っていた。

で、4年ほど前から、塾を立ち上げたいと真剣に考えていた。にもかかわらず、やるぞ!と決意しながら、その実、できない言い訳を探している自分がいた。心とは裏腹なものだ。経営を甘く見ていると痛い目に遭うとか、教室の維持費だけで立ち行かなくなるとか、動く前から諦める理由を考えた。

ならば経営のアドバイスを受けようと公的機関に相談に行ってみたが、どうもピンとこない。いや、それ以上に、コンサルタントの専門家たちですら具体的な策が思いつかないことに、却って不安や迷いが膨らんでしまった。

塾の立ち上げは夢物語のように思えた。フリーライターとして気儘きままにやってきた。そんな一介の物書きの、無謀な挑戦なのかもしれない……。私は半ば諦めかけた。

だが、その背中を押してくれたのは、夢を叶えるため必死に頑張る生徒の姿だった。

AO入試に付きものの「志望理由書」の作成や小論文テストの対策に、生徒は四苦八苦しながらも諦めずに立ち向かっていく。書いては直し、また直し、問題点を指摘すれば、途端に生徒の目は不安にあふれて光を失う。

そんなとき私は言う。「諦めたら、ここで試合終了」、漫画『スラムダンク』の名言である。

「諦めは自分に負けること。目の前の課題もクリアできずして、受験に勝てるわけがない。負け癖をつけちゃダメ!」

キツイ、キツイ。合格をさせたいばかりの親心とはいえ、最悪だ。なにせ私自身が夢を諦めかけているのだから。

塾をやるならば、人に頼らずに始めようと思っていた。夫はいるが、彼のお金には手をつけないと決めてもいた。資金面で夫に頼ってしまえば、責任が希薄なってしまう。ダメ元で始めるなど、もっての外だ。軽い気持ちでは長続きはしない。相手は生身の生徒である。途中で投げ出すわけにはいかないのだ。

仕切り直しは、‟やりたいことリスト”の作成だった。ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマン主演の『最高の人生の見つけ方』に出てくる「死ぬまでにやりたいことリスト」のように、まずは無条件で夢を書き出した。(ちなみにこの映画、吉永小百合さんと天海祐希さん主演で2019年に日本でリメイクされている)

次に、その中から‟できること”に焦点を絞った。知り合いの個人塾にも見学に行き、アドバイスを貰い、Google検索で思いつくまま「小論文 塾 指導 開業・・・」と言葉を入れた。

資料は机にあふれかえり、100均で買ってきたプラスチックのファイルケースが見る間にいっぱいになった。夫であるヒデッチには、ただひたすら一方的に夢を語った。

そうして話しながら、自分の考えを整理し、閃きをメモっては計画を練った。次第に自分がやるべき事柄が整理され、同時に方向性も見えてきた。アイディアが生まれ、夢と現実の取捨選択もできた。

これまでの指導を体系化してレジュメを作成し、レンタルオフィスを借りて経費を抑える目途めどをつけた。政府の持続化補助金を申請をし、クリスマスにサンタクロースのプレゼントのように採択決定の知らせを受けた。

夢を描いたのは4年前、実際に動き始めてから優に1年が経過していた。さあ、いよいよ船出だ!

と意気込んだはいいが、ホームページ(HP)やパンレットの作成が、これまた大きなハードルだった。何しろ設立準備は一人でやっている。まずはHPに何を載せるべきか、再び先の見えない暗がりのトンネルに潜り込んだ気分になった。

寝ても覚めてもHPの構成と掲載内容ばかりを考えていた。原稿に目途がついたのは4か月後、季節は冬から春へと変わっていた。HPの制作会社へ原稿を入稿したとき、仕事部屋から見えるソメイヨシノは早くも葉桜に変わっていた。

だが、これで正々堂々と生徒に向き合える。そう思った。

寿命を縮めるような徹夜続きだったが、所詮しょせん、私にはこんな生き方しかできない。まあ、いいさ。世界中を照らすことはできないが、東京の片隅で一隅を照らす光にはなれそうだ。

命を使うと書いて、使命。いつか最期を迎えるその日まで、しかと命を使って生徒の未来を照らしていこう。2022年4月、私の新たな決意だ。