Where there is a will, there is a way.

今年も、はや5月。ちょいとすれば半年が終わる。それで、さらにちょいとすれば夏になり、9月1日からは一斉に大学入試の出願がスタートする。1年が瞬く間に過ぎていく。

だが私は、まだ2024年度入試の気がかりを引きずっている。

小論未来塾が目指しているのは、合格率100%。あり得ない話だが、私は本気だ。

総合型選抜が定着してきた昨今、インターネット上でも小論塾が雨後の筍のごとく出現している。しかし当塾は宣伝費を一切かけない方針から、HPの検索順位は低く、「小論文 受験 対策」くらいでは引っかからない。「小論未来塾」と検索ワードを入力しても、必ずヒットするわけではなく、私には気まぐれなGoogle検索のご機嫌次第という感じがしている。

それでも、この塾を探し当てて問い合わせをしてくれる受験生や保護者がいる。ゆえに私としては、砂に埋もれた星屑みたいな塾を見出してくれた気がして、なんとしても合格させたい気持ちになる。

しかし現実には、1人、2人を落としてしまう。で、これがものすごく心残りで、気になってならない。

大学進学が人生を覆すほどの意味があるかといえば、……ん~、あるんだなあ、これが。

私がそうだった。高卒後、一度は地方公務員として社会に出た。そして20代後半で一念発起して再び学び始めた。

私にとって知識を得ることは、自己肯定に直結した。知らないことが多すぎた。

大学の授業で「マズローの欲求5段階説」を知ったときは、ようやく自分を認めることができた。大学の図書館で見つけたリンカーンの言葉「Where there is a will,there is a way.」にも救われた。我が道を決めるのは己の意志。運命などに翻弄ほんろうされてなるものかと、歯を食いしばって四面楚歌しめんそかの中を生きたこともあった。

大学での知識は、私が私らしく社会に目を向けて生きる確かな土台になった。

だから、大学進学を志し頑張る受験生を徹底して支えたい。

しかし、思い通りにはいかない。特に塾生が不合格になると、指導力不足を思い知らされる。

挫折は人を鍛えるが、関わった人間の責任が回避されるわけではない。年度替わりのように、4月になったからといって心を切り替えて、すっきり新年度体制にはならないのだ。

突然だが、夫のヒデッチは糞と馬鹿がつくくらい真面目で正直者だ。だから職場では要領の良い人たちに追い抜かされて、何度も悔しい思いをしてきた。けれど、いま第2の職場で管理職になり頑張っている。否、頑張ることのできる環境に巡り合い意気揚々だ。

人生は捨てたものじゃない。正直者は馬鹿を見ない。私はヒデッチのお陰で確信がもてた。

だから浪人を選んだ君、この1年を石にかじりつくようにして頑張り抜いて欲しい。挫けずに、己の意志で己の道を切り拓いて欲しい。君が君らしく生きていくために。

 

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