添削という名のラブレター

記者歴四半世紀、私はこのキャリアを活かして十数年前に小論文の講師になった。といっても、始まりは某出版社の添削講師だった。ギャラは1枚500円。仕事は草木も眠る丑三うしみどき、私は出版社から送られてきた生徒の原稿にひたすら赤ペンを入れていた。

私生活では家庭の主婦だから、まあ、家でやれるアルバイトみたいなもんだし、お手軽だなあと、申し訳ないが安易な気持ちでスタートした。1枚500円とすると、1日10枚で5000円。捕らぬ狸の皮算用で、100枚やれば5万円。おお、これはちょいとしたお小遣い稼ぎになるではないかと北叟笑ほくそえんだのも束の間だった。

言わずもがな、添削は対面授業とは違う。まして通信教育的なやり取りなものだから、赤ペンだけで問題点を指摘して、なおかつ修正案を書かねばならない。慣れぬ添削にかかる時間は、1枚に1時間超え。えっ、えっ、えぇ~~! てな誤算もよいところだった。そのうえ私は仕事となると、とことん責任感が強い。いくら顔も知らない生徒といえど、講師となった以上、手抜きはできない。なにせ物書きのはしくれである。文章として成立していない展開に納得するわけにはいかないのだ。

私は記者経験をフル稼働して、原稿が真っになるほど書き込んだ。なんと時には書き足りなくて、裏面にまで赤ペンを走らせた。すると、コーヒー片手に物見遊山ものみうさんで眺めていたヒデッチ(これは夫のニックネーム)が、「まるで手紙だねえ」としみじみ言った。

ちっ、他人事ひとごとだと思って気楽なもんだぜ。

私は横目でちらりと夫を睨みつけながら、実は内心、ほうほう、そういう捉え方もあるんだなあとストンと納得していた。

若葉マークの講師なれど、相手の生徒にとっては新米も熟練もない。まして出版社はベテラン講師による充実の添削などとうたう。きっと答案を返却された生徒は、手慣れた講師の指摘と思い何の疑いもなく読むはずだ。となると、時給に換算して1時間が安い缶ビール1杯分になろうと、ここは手抜きで適当に、ちょちょいのちょいでお茶を濁してはならぬだろう。

以後、添削は私から生徒へのラブレターになった。しかし、そのラブレターは添削地獄という、おっそろしい無間むげん地獄の中で書いているのである。

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