淡谷のり子という歌手

私は人物記事を得意とする記者だったから、著名人取材が多かった。

世に名を馳せる人たちは、皆それぞれに個性も経験も豊かで、何より仕事と生き方に対する信念がある。とにかく魅力的だった。

いまNHKの朝ドラ『ブギウギ』に登場している菊地凛子さん演じる茨田りつ子は、実在した淡谷のり子さんで、私が唯一サインを頂いた方だ。

ご本人にねだったわけではない。取材に行ったテレビ局の楽屋で、彼女が持っていた色紙に突如サラサラと書いて、笑いもせずに「はい、どうぞ」とくださった。

「・・・・・・あかあかと燃ゆる夕焼け  淡谷のり子」

実は現物が見当たらず、はっきりと覚えているのは「あかあかと燃ゆる夕焼け」の部分だけ。

東北訛りの残る言葉で、思いを率直に話す方だった。細目で笑わず、でも気さくな人だったから、話していると彼女がブルースの女王と言われた伝説の歌手であることを、ふいと忘れた。

彼女が体験した戦争も、「わたしには歌しかなかった」と言い切る彼女の生き様も、現実なのに何処か遠い時代に生きた、とある歌手の逸話のように聴こえた。

今更だが、淡谷さんは不器用な人だったと思う。だから淡谷のり子という歌手であり続けた。

しかし、彼女が命を懸けたのは、歌手としての名誉でもプライドでもなく、生への執着でもない。あの戦争で亡くなった若き特攻隊員へ、あの時代に翻弄された人たちへ、決して思い通りに生きているわけではない自分自身へ、すべての人の魂への鎮魂だったような気がする。

───なんて、わかった風なことを書いてる私は、物書きとしてひどく生臭い。それに、これって小論文とはまったく関係のない話。

ただ、毎朝『ブギウギ』を見ていると、「あかあかと燃ゆる夕焼け」の前に書かれた言葉は何だったのだろうと気になってならない。

私がお会いした淡谷さんも、ドラマ同様に己を貫かれていた。

信念ある人の生き様は美しい。赤々と燃えるような夕焼けは、人生をやり切った人だけが見ることのできる魂燃ゆる夕焼けなのだと思う。

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